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【海を渡った量産品】

プラモ尼崎城活動報告です。

と言っても、最近の私たちの活動はアグリカルチャー化していて、水面下ならぬ地中にせっせと種まきしているような状況で、特に投稿して皆さんが興味を示していただけるような話題でもないので、今日はコーヒーブレイク的なお話を。



※写真は北斎の「鏡面朝顔 夏の朝」


では、題にある 『海を渡った量産品』です。


葛飾北斎、そして浮世絵。


いうまでもなく日本が世界に誇る伝統美術品です。北斎が活躍した頃、日本で唯一 長崎の出島からポルトガルやオランダとの貿易が可能で、この時期に、国宝級の古伊万里や 有田焼が多く輸出されました。その時に緩衝材(包み紙)として、浮世絵を版画するときに大量に出る 刷りミスの紙が再利用されました。(当時の紙は貴重品です)


荷受け人である欧州の人たちは、見たこともない繊細な色使いの絵が書かれた包み紙の浮世絵の方に歓喜し、夢中になりました。なぜならば、その中には多くの春画(当時のアダルト本)も 含まれていたからです。


北斎の描いた作品数は三万点。おそらく、それが成功品として世に出るまでに発生した失敗作の刷りミス紙の中にも、多くの春画が含まれていたといわれています。浮世絵師とは、江戸の最先端の情報を絵に描くことが仕事で、流行りのファッションやメイク・歌舞伎役者のブロマイド人気の観光スポットなど、その描写範囲は広域にわたり、版元が江戸っ子の知りたがっている ことや要望を絵師に伝えて発注し、絵師は発注通りに描いていたようです。


さて、歴史のおさらいはこれぐらいにして、本題の『海を渡った量産品』です。輸出品であった陶磁器も 陶芸技巧による量産品、そして緩衝材(包み紙)として 一緒に輸出された浮世絵も版画技巧による量産品(印刷物)です。特に浮世絵は美術品にとどまらず、当時は情報伝達媒体としての 役割に絶対な威力を発揮したようです。


このように、量産品は時として最初に意図された以上に重要な働きをすることがあり、そのような積み重ねが長い年月をかけて、今日までの輝かしい 人類史の積層に貢献したといっても 過言ではありません。


以下、NHKスペシャルの番組案内からの抜粋です。


地球のあらゆる場所に生息し、生物史上、類を見ないほどの大繁栄を遂げた私たちホモ・サピエンス。その秘密は日本への道にあった!


誕生の地・アフリカから日本へのルートには、大海原と極寒の大地が 立ちふさがる。ホモ・サピエンスは進化の中で獲得した能力に磨きをかけ、この「最も到達困難場所」に到達した。

そしてその力が、世界へ広がる駆動力になった。

(ここまで)


先の浮世絵に戻りますが少しだけ想像力を働かせてください。よく「東の果て」と呼ばれてきた日本。その最も到達困難な場所から欧州に届いた異文化の便り。

当然、現代ほどメディアが発達していなかった時代に、このような(春画等)情報が伝わったこと自体に欧州の人たちは 歓喜したのではないでしょうか?


最後になりましたが、私たちプラモ尼崎城のメンバーも現在の尼崎城再建の様子をプラモデル化を通して数十年先まで伝えることを視野において活動しています。


今、子どもたちが大人になったとき「こんなアホなこと、よくやったな…」みたいな感じでしょうか(笑)


※金型の寿命 適切な材料、メンテナンスを条件に半永久。 実績として、100年前の現役金型も現存 (大手成型メーカー所蔵品)

山八化成工業所内 製造後30~40年経過した金型・数面を管理保管中。現在も現役で成型業務に使用。


〈尼崎城開城まで、あと251日〉

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