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【築城以前にこんなことをしていた おはなし】

尼崎城開城が待ち遠しいですが、築城以前にこんなことをしていたことを紹介します。

お会いした時は、尼崎市内某高校の校長先生で、社会の先生、そして尼崎北高校を甲子園に導いた先生の活動です。

築城の話など全くなかった時、尼崎が城下町であったこと、地域の歴史を知って欲しいと、お城のこと、中国街道のことを教えて頂きました。中国街道とは尼崎城の間近を通る街道で、参勤交代にも使われた街道は現在も道標が残っています。それらをたどる街歩きなど行っていました。 経験的に作られた道には、交通が行われた由縁があって、土地の成立過程を反映しています。そして要所に城がある。

そんな先生が、ある日尼崎一夜城を駅から見えるようにつくるぞ!阪神難波線の開通に合わせてって。したのが2009年の最初の写真。そのあと、布に尼崎城原寸大の絵を描いて城跡に掲げたいってのが次の写真。両方とも市内高校の美術部に協力してもらって描きあげたものです。布絵の写真は2015年に尼崎市役所に掲げたもの。

街の歴史、成立過程を知ることは厚みを増します、それに何かに熱心な人は好きなんですね。 そして築城が決まって…そもそも本当の城が建つとは思っていなくて、そんなもの現在には必要がないと思っていました…私は。ただ造っちゃいけない訳ではない、できるならいいでしょう。

そしてプラモ尼崎城。天守閣ってのはそもそもハリボテです。殿様はふもとの御殿に住んでて、実戦に使われた天守閣なんてほぼない、内部も実用には向かず、敵がこうきたらこう、数奇屋のような心理操作の世界。権威を示す象徴の役割が主だったでしょう プラモにも学ぶ要素が欲しいと思ってます。組み立て説明書は本にしよう、アマゴスティーニなどといいながら…。

組み立て、考えるプラモにしたいです。本物より本物に、できればアマの力を集めた本物のハリボテに。


〈尼崎城開城まで、あと374日〉

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